[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.8]第3ラウンドは本社へ、技師長職で社会活動【後編】/小平紀生
産学連携で知能化を推進
前編でお伝えしたように、2000年代中盤に三菱電機は、国が支援する開発プロジェクト(通称国プロ)の「次世代ロボット知能化技術開発プロジェクト」と「戦略的先端ロボット要素技術開発プロジェクト」に参加することになりました。
主導したのは当時の三菱電機先端技術総合研究所の久間和生所長(現農業・食品産業技術総合研究機構理事長)で、久間所長の意図には「研究開発(R&D)への外部資金の有効導入」「自前技術を補完する産学連携の促進」「第三者からも評価される技術成果」があったと思います。これらのプロジェクトでは、三菱電機の研究所と連携大学のメンバーが研究開発の実務に携わります。私は研究開発が生産現場の課題にちゃんと寄り添っているかの評価やアドバイスをする立場でした。
連携大学側の成果に対しても、実用面から見た厳しいコメントを出しましたので、大学の先生方からはすいぶんと嫌がられたと思います。ただしプロジェクト終盤の08年に、私は日本ロボット学会の理事に就任し、嫌がられた先生方とは学会でもお付き合いすることとなりましたので、かえって縁は深まったかもしれません。
次世代ロボットのプロジェクトは、京都大学との連携でビジョンセンサーと力センサーを駆使して、徹底したジグ(補助具)レス組み立てをするものです。
戦略的先端ロボットの方は名古屋大学、北海道大学、富山県立大学と連携し、センサー類を駆使して、柔軟ケーブルを器用に挿入するシステムの実現を達成課題としました。
それぞれの成果として3次元ビジョンセンサーや力センサーの製品化、それらのセンサーをシステムに適用するためのソフトウエアや付属品をセットしたアプリケーションパッケージの製品化に結び付きました。社内のライン生産からセル生産への切り替え促進にもなりましたので、うまくメッセージ発信につながったのではないかと思います。
変化するロボットの事業価値
本連載の第7回で、2000年代に入って、ロボットを単体ではなくシステムとして提供するシステム志向が強まったことに触れましたが、これはロボット事業に限ったことではなく、FA(ファクトリーオートメーション=工場自動化)機器事業全体にも言える流れです。
日本の製造業では激しくなる国際競争に勝つために、さらに高度な自動化にチャレンジすることが求められ、海外の新興製造業では経験の浅い中で自動化しなくてはならない。システム志向が強まった背景には、これらのことが思います。
これは、ロボットのシステムエンジニアリング体制が他の製品の販売強化に有効に活用できるということでもあります。工場の新設計画があると、構想段階からロボットの検討は始まります。そのため、他の機器より早い段階で設備投資の情報が得られ、他の機器もより早い段階での販売活動ができるということです。従って、本社に移ってからも、国内のシステムインテグレーター(SIer、エスアイアー)との関係強化や海外販売拠点でのシステムエンジニアリング能力の確保は重要な活動でした。
このようにして、FA製品としてのロボットはFA機器事業全体を引き上げる戦略製品に変わってきました。おかげさまで、18年までの数年間は三菱電機のロボット事業も過去最高を更新し続けて、かなり伸びました。19年は残念ながら中国経済や世界情勢の影響で出荷は減速傾向になっています。それでも私が苦労していたころに比べると何倍もの規模になっていますので、内心では現役メンバーがうらやましくもねたましくもあり。
日本のロボット産業全体でも特に輸出が急減速しています。最近の日本の貿易は対中・対米貿易に非常に偏っており、ロボットの出荷先も上位はこの2カ国です。それぞれ貿易上の課題を抱えている相手国のため、今後はどうなるか不透明さもあります。
しかし、18年の1年間で日本から輸出したロボット総台数はたったの16万台余りです。この程度で全世界の自動化に応えられているはずもありませんので、減速も一時的なものだと思います。
――終わり
(構成・編集デスク 曽根勇也)
小平紀生(こだいら・のりお)
1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会会長などを歴任し、現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、67歳。
※本記事は設備材やFAの専門誌「月刊生産財マーケティング」でもお読みいただけます。
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