[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.3]手探りの試作機開発から産ロボ事業参入へ【後編】/小平紀生
ロボット産業デビュー戦
この展示会準備のため、最後の数カ月間は社内6工場、2研究所から技術者が名古屋製作所に集結した臨戦態勢となり、私も研究所メンバーとして起居を共にしました。
現場に搬入してからもビジョンセンサーが会場の照明で誤動作するなど、その後のロボット業界ではおなじみとなった不具合に遭遇しつつも何とかデビュー戦を終え、無事ロボット産業に名乗りを上げることができました。
モーターとコンピューター
80年がロボット普及元年となった背景には、73年の第一次オイルショックがあります。戦後の高度経済成長が終了し、製造現場の志向が量産効率向上から、多品種少量生産に変化したことが、ロボット普及の起爆剤となっています。さらに、2つの技術要素の進化がそれを加速しました。
その一つはサーボモーターです。70年代に磁力の強いサマリウムコバルト磁石が開発されました。これは後に開発されるネオジム磁石の次に強い磁石で、強い磁石があればモーターの性能を高められ、小型化できます。
もう一つがマイクロプロセッサーの進化です。ソフトウエア開発環境も78年当初はミニコン(パソコンが普及する前に使われていたコンピューター)とパンチカード・紙テープからスタートしました。余談ですが、私たちの世代はパンチカードや紙テープを読むことができる最後の世代です。
次々と処理能力が格段に高くなったプロセッサーが現れるため、発売前の情報収集や開発のタイミングと開発目標仕様の設定は死活問題でした。
そのため最初の頃は製品寿命の短い失敗機種も結構あったと思います。
いずれにせよ、マイクロプロセッサーによりあらゆる機械がプログラマブル(プログラムの変更で動作が変えられること)になるというインパクトは非常に大きく、80年はロボット普及元年と言うよりはむしろ「自動化元年」と言うべきかもしれません。
自動化という言葉はもちろん以前からありましたが、80年以前の自動化はむしろ自動機械化で、本質的な生産自動化であるFA(ファクトリーオートメーションあるいはフレキシブルオートメーション)は80年以降のことだと思います。
――終わり
(構成・ロボットダイジェスト編集デスク 曽根勇也)
小平紀生(こだいら・のりお)
1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会会長などを歴任し、現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、67歳。
※本記事は設備材やFA(ファクトリーオートメーション=工場の自動化)の専門誌「月刊生産財マーケティング」でもお読みいただけます。
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