[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.1]総合科学とサイバネティクス【前編】/小平紀生
変わる産ロボの位置付け
産業用ロボットに40年間関わってきました。1980年は「ロボット普及元年」と言われますが、その前から今までロボット一筋という人はあまり多くないと思います。
三菱電機に籍を置きながら、日本ロボット工業会(会長・橋本康彦川崎重工業取締役)のシステムエンジニアリング部会長や、その他団体の理事・参与などロボット関連の役職を多数担っています。2013~14年には日本ロボット学会(会長・澤俊裕安川電機顧問)の第16代会長も経験しました。
長年業界に身を置く中で、「産業用ロボットの位置付けが近年、大きく変わった」と感じます。産業界全体からの関心も高まりましたが、社内でのロボット事業の扱いも目に見えて変わりました。
三菱電機でも昔は、大企業の中のもうけの薄いとても小さな一部門に過ぎませんでしたが、今ではロボットと言えばFAシステム事業本部の戦略製品として大変重視されています。「時代は変わった」としみじみ感じます。
ロボット一筋50年
仕事でロボットに携わるようになってからは「ロボット一筋40年」ですが、実は「ロボット一筋50年」とも言えます。中学生のころには「将来はロボットに関わる仕事をするんだ」と決めていました。
私が中学生だった1960年代の中盤から後半にかけては、サイエンスフィクション(SF)というジャンルが一気に広まった時代です。「スタートレック」などのSFドラマが日本でも放送され、SF小説のシリーズも多数創刊されました。当時の私もSF少年でした。SF映画やSF小説には人型のロボットや人造人間(アンドロイド)がよく登場しました。
特に好きだったのがカナダの小説家A・E・ヴァン・ヴォークトが書いた「宇宙船ビーグル号の冒険」です。巨大な宇宙船ビーグル号で宇宙を旅し、未知の宇宙生命体と遭遇する物語です。
本作の主人公は「総合科学者」で、「総合科学」は各学問分野が細分化されすぎた時代に、分野横断的にさまざまな技術や知識を統合した架空の学問とされています。生じた問題に対し、あらゆる分野の知識や技術を総動員して問題解決する姿に憧れました。
「問題解決のためにはあらゆる分野の知識を総動員しなければならない」。これは中学2年生の時の家庭教師の先生にも言われた言葉で、今でもよく覚えています。こうした考え方は後のメカトロニクスやロボットにも関係してくるのですが、それについては後編で触れたいと思います。
――後編へ続く
(構成・ロボットダイジェスト編集デスク 曽根勇也)
小平紀生(こだいら・のりお)
1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会の第16代会長(13~14年)。現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、66歳。
※本記事は設備材やFA(ファクトリーオートメーション=工場の自動化)の専門誌「月刊生産財マーケティング」でもお読みいただけます。
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