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2019.08.05

連載

[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.5]30年前のAIロボットシステムへのチャレンジ【前編】/小平紀生

過去には日本ロボット学会の第16代会長(2013~14年)を務め、現在も日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長など、ロボット業界の要職を数多く務める三菱電機の小平紀生氏。黎明(れいめい)期から40年以上もロボット産業と共に歩んできた同氏に、自身の半生を振り返るとともに、ロボット産業について思うところをつづってもらった。毎月掲載、全12回の連載企画「随想:ロボット現役40年、いまだ修行中」の第5回。人工知能(AI)は1980年代にもブームとなり、小平氏も当時AIを使ったロボットシステムを研究していた。

ロボットシステムにAIを

80年代後半の製造業は元気があった

 1980年代後半になると、初期の基本的な技術確立は一段落。ロボット事業も何とか回り始め、研究所では新しい技術開発への取り組みが始まります。この頃の製造業は元気があり、技術的にかなり挑戦的な商談も多くありました。
 大手ビールメーカーの製造物流拠点を自動化した「ランダムパレタイズシステム」は、技術的には極端に難しいものの、ユーザーの全面的な協力を得て何とか現場での稼働までたどり着けた貴重な経験となりました。

 ランダムパレタイズシステムは配送先からの発注伝票に記載されたビールやジュース、あるいはつまみ類など、さまざまな荷姿の荷物をパレット上に混載するシステムです。
 何枚のパレットが必要か、それぞれのパレットにバランスよく積み上げるにはどんな順番でどう積んでいくのか、といった混載計画を自動的に行い、その計画に従って、自動倉庫とロボットに指令を出しながらパレタイズ作業を行うというのが一連の流れです。ということで、まさに人工知能(AI)の出番なわけです。

あえて比較的古い技術で「推論と探索」

 80年代は第二次AIブームでしたが、適用した技術はむしろそれ以前に研究された「推論・探索」を特徴とする比較的古いAI技術でした。
 特徴も欠点もわかっている古い技術に現実的な制約を加える、という取り組みは実用的で安定した結果が得られることもあります。
 このAI部分の開発実務の担当は、研究所で私の部下だった長田典子さんでした。彼女はその後博士号を取得し、現在は関西学院大学の理工学部の教授になっています。男女雇用機会均等法以前の女性研究者にとっては何かと不自由な時代のこと。今では考えられない苦労もあったようです。

 研究所が担当したAIの部分も難しかったのですが、さまざまな荷姿のワークに対応するハンドの設計や、エラー発生時の復旧方法など、システムとしての難しさも満載で、難しいシステム全体を取りまとめたのは稲沢製作所のロボット技術部隊でした。
 私はそれから間もなくその稲沢製作所に転勤になるのですが、この時点では想像すらしませんでした。

AIロボットでパッティング

 当時、研究所の自主研究として取り組んだ知能化技術に、あいまいな情報しか無い状況から確からしい結論を得る「ファジー制御技術」、人の神経細胞の情報伝播(でんぱ)を模した「ニューラルネットワーク技術」があります。ニューラルネットワークは、現在の第三次AIブームのきっかけとなった深層学習の基になった技術です。
 これらを組み合わせた技術を展示会で見せようということになり、企画を任されました。ロボットは一般受けがいいので、よく展示会のネタにされるのは今も昔も変わりません。
 その上、私自身も研究所では展示会などの“目立つ活動が大好きな人”と見られていたようです。まあ、そうなんですが…。

「AIゴルフ」システムの横で考え込む筆者

 出し物に選んだのは、ボールから穴までの距離1mのパットをロボットで打って入れるというAIゴルフ。
 まずはお客さんにグリーンの傾きとボールを置く位置を適当に設定してもらう。次にロボットが持つパターの角度と打つ強さも設定してもらってパッティング。もちろんいきなりは入らず、大体外します。

 打つ前のボールの位置を見るビジョンセンサーはありますが、それ以外はボールの通過を検知するラインセンサーをいろんな角度で10本ほど設置してあるだけ。どのセンサーがどんな順番でボールを検知したかとの情報から、どんな外れ方をしたかを推定して、次はパターの向きと打つ強さをロボットが自分で修正してカップインさせる、というものです。

 1989年の「システムコントロールフェア」に出展したところこれは面白いということで、90年の正月に経団連会館で開かれた、三菱電機の経営幹部と各種メディアとの賀詞交歓会での余興になりました。

――後編へ続く
(構成・ロボットダイジェスト編集デスク 曽根勇也)

小平紀生(こだいら・のりお)
1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会会長などを歴任し、現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、67歳。

※本記事は設備材やFA(ファクトリーオートメーション=工場の自動化)の専門誌「月刊生産財マーケティング」でもお読みいただけます。

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