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2019.10.19

連載

[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.7]ロボット事業を一本化、稲沢から名古屋へ【後編】/小平紀生

過去には日本ロボット学会の第16代会長(2013~14年)を務め、現在も日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長など、ロボット業界の要職を数多く務める三菱電機の小平紀生氏。黎明(れいめい)期から40年以上もロボット産業と共に歩んできた同氏に、自身の半生を振り返るとともに、ロボット産業について思うところをつづってもらった。毎月掲載、全12回の連載企画「随想:ロボット現役40年、いまだ修行中」の第7回。2000年代に入るとシステムインテグレーター(SIer、エスアイアー)や海外代理店など、パートナー企業との関係性も大きく変わり始めた。

ラインからセルへ

 1990年代末から2000年代初頭にかけては、ロボットによるセル生産が本格化した時期でもあります。
 ライン生産にロボットを組み込む場合、1台1台には比較的単純な安定した動きを割り当てる設計が多くなります。しかしコンベヤーなどで製品を移動させずにその場で組み立てるセル生産の場合は、1台のロボットに複数の工程を担わせる必要があります。これは本来ロボットに期待されたフレキシビリティーが生きる使い方ですが、難易度も高くなります。

 セル生産への取り組みとしては、FA(ファクトリーオートメーション=工場自動化)用安全機器を製造する和泉電気(現IDEC)向けのシステムが一つの転機となりました。IDEC側の責任者は平林通夫常務(故人)で、既に独自のシステムを試作していましたが、より本格的にシステムを作り込むため、三菱電機に声が掛かりました。
 平林さんは熱意があり生産技術のエキスパートで、どのようなシステムにすべきか明確な考えや判断基準をお持ちで、随分怒られました。システムの構想を練る中で激論になることもありましたが、「良い生産システムとは何か」を追求するぶつかり合いを通して距離が縮まり、信頼してもらえるようになりました。その後大変残念なことに、さほど時を経ずに平林さんは在職のまま急逝されましたが、組み立てロボットの何たるかを教えていただいた恩師として銘記しています。

海外事業を強化

輸出比率は右肩上がりで上昇

 2000年と01年には海外での事業体制を強化するため、一時的に東京の本社に異動しました。この期間は、年の半分は海外を飛び回っていたと思います。
 もともと英語はそれほど得意ではありませんでしたが、必要に迫られると何とかなるものです。
  
 欧州では、ドイツには従来から強固な事業基盤がありましたが、イタリアや英国なども強化する必要があり、ロボットのシステム構築を担うSIerの掘り起こしを中心に各拠点の強化を図りました。
 米国は技術力はあるが小規模な1社の代理店がカバーしていましたが、広大な米国ですので地域ごとの代理店構成を模索しました。余談ですが、この全米をカバーしていた代理店の社長はスティーブン・スピルバーグの友人で、そうした縁から映画「ジュラシック・パーク」では三菱電機の小型ロボットが恐竜の卵を運んでいます。
 韓国ではきちんとした販売網がなかったため代理店制を検討し、台湾では液晶・半導体製造装置向けの販売体制や、現地でのシステムインテグレーション体制の強化に取り組みました。
 当時まだ中国は視野に入っておらず、その後圧倒的な市場になると思いもしなかったのは反省すべきかもしれません。

 海外体制の再整備は1年半ほどでしたが、国情の違いやロボット・自動化に対する考え方の違いなど、なかなか刺激的な経験でした。

SIerパートナー会発足

 2000年代に入ると、ロボット単体での販売ではなく「システムとして請け負ってほしい」というシステム指向が一層強くなりました。グループ会社である三菱電機システムサービスにはロボットシステムの事業がありましたが、販売網からは三菱電機の本体でもシステム対応力の強化が望まれました。

 この頃既に各地域に協力的なSIerもあったのですが、02年に明確に組織化して、システム構築を伴う案件の受け入れ体制を社内外に明示しました。得意分野や地域性を網羅するような組織化を試みました。

 パートナー会は社内の組織運用とは異なりなかなか難しく、お客さんでもありパートナーでもあるという微妙な関係をうまく運用するために、何度か考え方を変えています。
 最初は三菱電機のロボットで囲い込むイメージもありましたが、実力のあるSIerなら他社のロボットを中心に扱う企業でもウエルカムで、現在は100社を超える規模のパートナーシップに発展しています。

 十数年前に始まったSIerさんとのお付き合いは、昨年のFA・ロボットシステムインテグレータ協会(会長・久保田和雄三明機工社長)の立ち上げにつながっていると思います。

――終わり
(構成・編集デスク 曽根勇也)



小平紀生(こだいら・のりお)
1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会会長などを歴任し、現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、67歳。

※本記事は設備材やFAの専門誌「月刊生産財マーケティング」でもお読みいただけます。

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