[随想:ロボット現役40年、いまだ修行中vol.5]30年前のAIロボットシステムへのチャレンジ【後編】/小平紀生
賀詞交歓会でAIゴルフを披露
労働組合で経営問題を垣間見る
80年代後半には、研究開発以外にも貴重な経験として、労働組合の経営担当執行役員への就任があります。
三菱電機全体の労働組合ではなく、研究所支部の非常勤の役員ですので、研究開発業務と同時並行です。簡単に言えば経営的な見地から組合員側を代表し、研究所長などの幹部に意見を言う立場です。
この期間に、一研究者では決して分からなかっただろうさまざまなことに気付くことができました。その中でも最も記憶に残ったのは、研究所における研究と開発の違い、さらに研究員としてのモチベーションとの関係を、当時の中央研究所所長の伊藤利朗博士(故人)と議論したことです。
「研究」とは、「開発」とは
伊藤博士が提示した「研究とは普遍化である、開発とは一般化である、成果評価は全く異なるべきである」との話を皮切りに、議論は2年間続きました。
研究と開発を比べると、例えば「やりがい」に関するアンケートでは開発担当はモチベーションが高いのですが、研究担当はそうでもない。これは開発の方が比較的短期間に見えやすい成果が出るため、自他いずれからも評価しやすいことが背景です。
研究と開発の混在は、本人も勘違いしやすいし、成果評価も混同しがちになる。どううまく分離するかが研究所の課題になるという議論です。研究のふりをした開発や、開発のふりをした研究は駄目で、特に本当の基礎研究は一生を棒に振るか、ノーベル賞を狙うかくらいの本人の覚悟と、忍耐強い管理が必要だと思います。
「研究所のリソース(経営資源)の最低20%は研究に充て、完全に隔離すべし」という話をしたと思います。
ただ、今にして思うと、当時の方がまだ研究と開発が区別できていたように思います。当時の研究所には日がな一日、水槽のアメフラシに餌をやり続けていたような謎の研究員もいました。実はアメフラシは神経細胞が巨大で肉眼でも確認できるので、神経細胞の情報処理を研究するのにうってつけの対象だったというのが種あかしです。
最近の「研究開発も出口を明確に」というのも大事な考え方ではありますが、中途半端になると分かりやすい開発ばかり指向され、どうも基礎技術力の低下や、国際競争力の低下を招くように思われてなりません。
製造現場にも触れる
さらに労組の役員時代にもう一つ大きかったのは、製造現場の経験です。研究所にも試作工場があり、そこは研究所内とはいえ製造現場ですので、それゆえの職場管理上の課題がたくさんあります。
研究者しかいない研究開発部門とは明らかに異質の職場です。しかし製造業ではむしろ、こうした製造現場の方が重要で、労組役員としてそこに接したことは、貴重な経験でした。
このような研究所生活の中、ある日部長室に呼ばれ、「稲沢製作所から名指しで声がかかった」と聞かされたのは91年、30代最後の秋のことでした。
――終わり
(構成・ロボットダイジェスト編集デスク 曽根勇也)
小平紀生(こだいら・のりお)
1975年東京工業大学機械物理工学科卒業、同年三菱電機入社。2004年主管技師長、13年主席技監。日本ロボット学会会長などを歴任し、現在は日本ロボット工業会のシステムエンジニアリング部会長やロボット技術検討部会長、FA・ロボットシステムインテグレータ協会参与、セフティグローバル推進機構理事兼ロボット委員会委員長などを務める。東京都出身、67歳。
※本記事は設備材やFA(ファクトリーオートメーション=工場の自動化)の専門誌「月刊生産財マーケティング」でもお読みいただけます。
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